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東京高等裁判所 昭和46年(う)3397号 判決 1973年5月21日

被告人 木下立嶽

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中三十日を右の本刑に算入する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二連名作成名義および弁護人井上正治作成名義の各控訴趣意書ならびに弁護人井上正治作成名義の控訴趣意の補充書に記載されたとおりでありこれに対する答弁は東京高等検察庁検事橋本友明作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

弁護人井上正治の控訴趣意第一について。

所論は原審が被告人の検察官に対する供述調書(昭和四十三年五月十四日付同年六月十七日付)を証拠として採用しているけれども、右各調書は捜査官が被告人を終始手錠腰縄つきのまま或は不当に長い拘禁の後に取調べ作成したものであるから、その各供述には任意性がない。これらを証拠として採用したのは、証拠能力のないものを証拠としたもので、任意性の判断において経験則に違反し訴訟手続の法令違反乃至憲法第三十八条第二項違反があるというのである。

よつて所論に鑑み記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討するに、所論掲記の書証二通は第二十四回公判期日(昭和四十五年一月三十日)において刑事訴訟法第三百二十二条第一項書面(不利益事実の承認を内容とする)として取調べられ、その後第三十七回公判期日(昭和四十六年八月十八日)に至つて右書面を含めた被告人の司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書はいずれも被告人が手錠をかけられた状態で取調べられたものであるとして刑事訴訟法第三百九条、刑事訴訟規則第二百五条の四但書に基づいて弁護人から異議の申立がなされ、第三十八回公判期日(昭和四十六年九月六日)において右異議の申立は手錠をかけたまま取調べた事実がないという理由で棄却され、原判決において右供述調書二通が原判示第一、第二の事実について証拠とされていることは記録上明らかである。

(一)  そこで原審証人松浦恂の供述によれば、被告人は所論各調書が作成された際、東京地方検察庁の大部屋で手錠を外され腰に縄をつけたまま椅子に坐つた状態で取調べられていたことが認められる。(この点について所論は右各調書末尾の被告人の署名の筆勢を云為するけれども右各署名じたいから被告人が手錠をされていたことを推認することはできず、また所論指摘の佐伯千仭編著「続生きている刑事訴訟法」の記載も本件の具体的事実について直接証拠価値をもたない。)記録に徴しても右の認定を覆すに足るものはない。

もともと勾留されている被疑者が捜査官から取調べられる際に、手錠を施されたままであるときは、その心身になんらかの圧迫を受け任意の供述は期待できないものと推定されることは既に判例(昭和三十八年九月十三日最高裁判所第二小法廷判決。集第十七巻八号千七百三頁参照)の示すところであることは所論のとおりであるけれども、本件のばあい、被告人は前叙のとおり腰縄はついていたとしても、手錠は外された状態である。腰縄のついた状態は心身に対する圧迫感も手錠を施された状態に比して格段に少く、それだけでは供述の任意性につき一応の疑をさしはさむべきばあいに当るとまではいえない。また所論各調書の記載内容を検討してみても、否認すべきは否認し、被告人が主張しようとするところは充分明らかに録取されている。(担当検察官も、被告人が裁判官の勾留質問の際、机に俯伏せになり一言も発しなかつたという特異な行動があつたことの報告を受け、被告人の取調に当つては問題を起さないよう特に配慮した形跡が認められる。)

しからば右の各供述は任意になされたものというべきである。

(二)、また原審証人伊藤克之の供述に徴せば、警察官が被告人を取調べる際には手錠を外していたことが明らかであるから、(この点につき原審証人三浦百之助は正確ではないが、被告人が手錠を施したまま警察官の取調を受けていたかの如き供述をしているが、この供述は輙く措信できないことその供述全体について検討すれば容易に判明するところである。)警察官が手錠を施したまま被告人を取調べたことを前提として被告人の検察官調書の任意性に重大な影響を及ぼすとする所論はその前提を欠き採るを得ないことはいうまでもない。

しからば、他に特段の事情の認められない本件においては、右の被告人の供述は任意になされたものといわなければならない。

(三)、また被告人は昭和四十三年三月十三日詐欺(原判示第四の事実)の被疑事実で勾留状を執行され、爾来同年六月十八日保釈出所するまで勾留されており、その間に検察官の取調に基づき前記各調書が作成されたことが明らかであるが、本件各事案の性質、態様、被告人の態度、被害者が遠隔の地にいることなどの諸事情を考慮すると、右各調書の供述を不当に長い勾留の後の供述ということもできない。

しからば、右各調書における被告人の供述に自白の任意性を肯認しその各調書に証拠能力を認めて証拠として採用した原審の措置に所論のような任意性の判断における経験則違反や訴訟手続の法令違反の違法乃至憲法第三十八条第二項違反は存しない。

論旨は理由がなく採用できない。

弁護人井上正治の控訴趣意第二について。

所論は要するに、被告人を逮捕する必要がないのに司法警察員が故意に虚偽の事実を構えて資料とし逮捕状を請求したものであり、表面的には適法な逮捕状によるものとはいえ実質的には逮捕手続じたいが違法であり、これに基づく勾留もまた違法である。従つて、身柄拘禁中になされた警察官竝びに検察官の捜査活動はすべて違法であり、その間に蒐集された本件証拠はいわゆる違法蒐集証拠であり当然排除さるべきものであるところ、原審は当然排除すべきである被告人の検察官の前記供述調書を有罪認定の資料としたものであるから憲法第三十一条に違反する違法があると主張する。

よつて所論に鑑み記録を精査し所論の問題点を検討するに、本件捜査に当り警察官或は検察官がことさらに被告人を罪に陥れるために虚偽の事実を構えて資料とし逮捕状請求手続をしたり逮捕勾留中に違法な捜査活動を行い証拠の蒐集に当つた事跡を疑うに足りる的確な事跡は遂に発見できず、所論の被告人の供述調書の証拠能力に缺けるところは存在しないものと認められる。

それ故捜査段階における証拠の違法蒐集を前提とする所論はもとより採用できない。

弁護人井上正治の控訴趣意第四について。

所論は要するに、原審が原判示第二事実の証拠として証人渡部芳男、同坂井賢治の各供述、原判示第三事実の証拠として証人佐々木強男、同坂井賢治の各供述、原判示第四事実の証拠として証人佐々木強男の供述を証拠として挙示しているけれども、これらは当初被告人側から証人として申請したにもかかわらず、出廷予定の公判期日前に検察官が右三名を呼び出して取調べのうえ供述調書を作成した。このような不当な圧力をうけた証人は故意に真実を述べるのを避けようとする跡が認められる。このような証言を措信するについて原審には審理不尽による訴訟手続の法令違反があるというにある。

よつて、検討するに証人渡部芳男は第十六回公判期日(昭和四十四年九月二十二日)に弁護人側証人として決定されたけれども、召喚状不送達のため第十七回公判期日に不出頭、第十八回公判期日(昭和四十四年十月十三日)に出頭取調べ、証人佐々木強男は第十七回公判期日(昭和四十四年十月六日)に弁護人側証人として決定したけれども、第十八回公判期日に弁護人が右申請を撤回したので決定を取消したところ、第二十三回公判期日(昭和四十五年一月十三日)に検察官側在廷証人として決定取調べ、証人坂井賢治は第二十二回公判期日(昭和四十四年十二月十六日)に弁護人側証人として決定するも、召喚状不送達のため第二十三回公判期日に不出頭、同日検察官からも証人として申請され、双方申請証人として決定、第二十四回公判期日(昭和四十五年一月三十日)に取調べられたことは明らかである。

本件において所論のような事実があつたかどうか必ずしも明らかでないけれども、当該証人の出頭した公判廷において反対尋問の機会が与えられているのであるから、特別の事情の存しないかぎり弁護人申請の証人として喚問を決定された証人をその喚問期日前に検察官において呼び出し取調を行うことは避けるべきであろう。しかしながら、本件においては原審第十七回公判期日(昭和四十四年十月六日)において弁護人側証人として取調べられた山田健二の証言によれば、被告人は事前に同証人に対して特定の事項の証言を依頼し合計金十五万円を与えた事実が明らかである。かかる場合、このような被告人側の態度に徴して検察官が弁護人側証人の立証趣旨、地位その他の事情を考慮して事前にその証人に面接して事情聴取等の取調をすることもあながち許されないとまではいえない。従つて、本件において前記三名の証人を所論のように公判期日において尋問する前に検察官が右証人等に面接取調をしたからといつて、これを非難しその公判廷における供述の証明力まで云為することはできない。記録につき右証人等の証言内容を検討しても、同証人等に不当な圧迫があつたことを窺わせるものは存在しないから、これらの証言に信憑性がないとすることはできない。原審審理の経過に徴し、この点に関する所論のいう如き審理不尽による訴訟手続の法令違反が存するものとは認められない。

論旨は理由がなく採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第二について。

所論は要するに、原判決第一ないし第四の事実については、いずれも被害者が存在しないか、または被害者が不明な事件であるのに、原審は訴因の変更もしないで恣意的に被害者を認定しているのは違法であるというに帰する。

そこで大賀卯平関係の原判示第一事実とこれに対応する昭和四十三年十月二十六日付起訴状、増田武三関係の原判示第二事実とこれに対応する同年五月二十七日付起訴状、大矢増雄関係の原判示第三事実とこれに対応する同年六月十五日付起訴状、坂本実関係の原判示第四事実とこれに対応する同年三月三十日付起訴状の各記載とを対比して考察するに、いずれも被欺罔者被騙取者等の相手方は全く同一であり所論の被害者は明示されており記録を精査してもこれらの点について訴因変更手続を必要とする事項は発見できない。所論は実体的に被害者が現存しないかまたは不明な或は相異する事件なりとして原審の訴因変更手続をしなかつた処置を非難攻撃するけれども、右は訴訟手続上の問題でないこと明らかであり全く独自の見解をもつて正当な原判決の訴訟手続を非難するに過ぎず、もとより採用のかぎりでない。(なお所論が指摘する昭和四十年十二月二十九日最高裁判所決定なるものは存在しないこと明らかである。)

論旨は理由がなく採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第一の一、同井上正治の控訴趣意補充第一、同弁護人の控訴趣意第三について。(原判示第一の大賀卯平に対する詐欺関係)

原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第一の事実は優にこれを肯認することができ、また原判決が(争点に対する判断)の項一で判示するところもすべてこれを支持することができる。以下所論に鑑み順次詳細に検討する。

(一)、まず被告人に本件につき融資の意思も能力もなかつたことについては、原判決が(争点に対する判断)一の(一)で説示するとおりであつて、所論のように「本件融資をすれば、おそくとも一年内に投資額と同額以上の利益をあげることができた」といつてみたところで、そのことが本件当時被告人に融資の意思および能力があつたことにならないことはいうまでもない。当時、被告人に融資能力があつたとして所論が縷々述べるところも、畢竟、具体性、明確性、確実性を欠くものであり、本件において福岡銀行神田支店に本件融資額の一部として金二千万円の預金をしたという点についても、原審証人森住藤七、同小日向正春の供述によれば、被告人から「あいている金があつたら預金してくれ」という電話による依頼によつて小日向正春が小野田正春名義(印鑑は小日向正春)で昭和四十一年十二月七日福岡銀行神田支店に金二千万円の普通預金をしたが、右は他店券小切手を振込んだもので翌日の交換でおちないときは不渡となるものであり、結局金は送られなかつたことが明らかである。その他、所論が被告人に融資能力があつたとして指摘するところも、いずれも具体性、明確性、確実性を欠くものに尽きる。

また原審証人川上金蔵、同小日向正春の供述によつても、いずれも「借主がしつかりしており、担保物がよいものであつたならという条件つきで被告人の融資の相談にのる余地がある」旨いつているけれども、これは当然のことであり、何も被告人をまつまでもなく借主、担保物件が信用できるものであるなら融資するということにすぎない。従つて、これが被告人の融資能力を判断する資料ともならないことはいうまでもない。

また所論は、かりに被告人に手持資金による融資能力がなかつたとしても充分な仲介能力があれば融資能力があることになるというけれども、これについて被告人の主張する事実は原審公判廷の供述だけとりあげてみても猫の目のように変つていることは原判決の説示するとおりであり、原判決はこのことと、客観的な爾余の証拠と対比して被告人の右供述を信用しなかつたものでありこれを証拠の取捨選択を誤まつたということはできない。

更に所論は原判決が「仲介能力において特に優れているとも思われない」と述べていることを証拠に基づかないで認定した理由不備があるとして非難するけれども、右は「本件証拠にあらわれた限りにおいては大口の金融仲介が成功した事例は数少く」とあるに続いて説示するものであることは、原判決の判文上明らかであり、これをとらえて証拠に基づかない認定とは到底いえず、また原判決も仲介能力がないとまでいつているので「特に優れているとも思われない」と説示しているのであり、これらの点は原判示証拠を総合すれば、容易に判明するところであつて、当時被告人には確実な融資能力も融資する意思もなかつたものという他なくいずれにせよ右の非難は当らない。

(二)、次に所論は被害者を大賀卯平と認定しているけれども、欺罔された者は今井佐助である。この点において被害者と被欺罔者とが異なる詐欺罪として構成し訴因変更手続をしなかつた原判決には審理不尽による事実誤認、訴訟手続の法令違反があるというけれども、関係証拠によれば、原判決認定のとおり被害者も被欺罔者も大賀卯平であることは明らかであり、被告人から金融を受けるにあたり上京した際も大賀卯平、今井佐助らが同行し、昭和四十一年十月十四日「ホテルニユーオータニ」同年十一月四日「ホテルニユージヤパン」において被告人と折衝するにあたつて、大賀卯平も同席して自己の判断に基づいて意見も述べている、このような経過に徴すれば被欺罔者を今井佐助と認定すべきいわれはない。この点について原判決に所論のような審理不尽も事実誤認もないし、起訴状においても被欺罔者は大賀卯平とされているのであるから訴因変更の手続を要しないことはいうまでもない。いずれにせよ右の非難は当らない。

(三)、所論は第二十回公判期日(昭和四十四年十二月一日)における検察官の証人高木さくに対する尋問を非難し原審が右証人の供述の取捨選択を誤つたと主張するけれども、右尋問の経過に徴すると弁護人の主尋問において「あなたと木下の間で一千万円もの金を受取も契約書もなしに貸したり返してもらつたりしていたわけですか」という質問に対し、同証人は「初めは受取いただいていました。でもその後は受取いただいていません。」と答え、また「受取もらわないで貸しているわけですか」という質問に対して「はい」と答えている。これに対して検察官が反対尋問において「あなたが受取も取らないでそういう大きなお金を貸されたというのは木下との間に特殊な関係があつたんでしよう」と質問し、答がなかつたので、更に検察官が「それでは、はつきり聞きますが、いわゆる肉体関係というのがあつたんでしよう。」と聞き、これに対して同証人は答えていないことが明らかである。主尋問において受取も取らずに一千万円の金を貸したという事実を同証人が供述し、しかも主尋問において、被告人と高木さくとの関係が必ずしも明らかにされていない以上、主尋問における証言の真実性を吟味する機能をもつ反対尋問において、右のような尋問をすることは、その性質上当然許さるべき事柄であり、これをもつて所論のように違法であるとか不当であるとか非難することは当らない。また第三十六回公判期日(昭和四十六年六月三十日)における同証人の証言を原審が措信しなかつたことを非難するけれども、同期日の同証人の証言じたい前後矛盾し混乱を極めていることと、他の証拠と対比して原審はこれを措信しなかつたものと認められる。従つて右の非難も不当である。

これに関連して、被告人の供述が首尾一貫しなかつた理由として高木さく証人の現在の立場を考慮したからであるというけれども、被告人の供述はひとり高木さくに関する事柄だけではなく、本件融資の資源として或は手持資金といい或は高木さくが出資するといい、或は田子孝吉が出資するといい、一貫するところがないことは記録上極めて明らかであり、たとえ所論のような事情があつたとしても、被告人の供述を信用しなければならない根拠とはならない。

(四)、所論は証人富永芳樹は福岡在住中競売屋今井佐助(福岡においては恐れられている松本組の幹部ではないかと十分に疑わせる)の影響下にあつて真実を述べられなかつたのであるから、福岡を離れた後の証言をこそ信用すべきであつたのに、ことここに出でなかつた原判決は証拠の取捨選択を誤まつたものであるというけれども、原判決は原判示第一の証拠として、富永芳樹に対する原審の証人尋問調書(昭和四十四年二月十六日付、同四十六年七月二十九日付)を掲げており、後者が福岡を去つた後のものである。今井佐助が所論のように福岡において恐れられている松本組の幹部であることを窺うことのできる証拠は記録上これを見出すことはできない。のみならず同人の影響により富永の昭和四十四年二月十六日付尋問調書の供述が歪曲されていると認むべき証左は存しないし、また前記昭和四十六年七月二十九日付尋問調書中判示認定に副わない部分は原審において他の証拠と対比してこれを措信しなかつたものと認められる。いずれにせよ前記非難は当らない。

(五)、更に所論は前利息三ヶ月分百五十万円は被告人から請求したものではなく今井佐助の方から自発的に被告人のもとへ送つて来たものであるというけれども、関係証拠によれば、右の前利息三ヶ月分百五十万円については既に当初昭和四十一年十月十四日ころ「ホテルニユーオータニ」において、その話が今井佐助から出、被告人においてこれを了承し、被告人の意を受けた富永芳樹から振込口座を指定したうえでの催促により百五十万円を原判示第一の普通預金口座へ振込送金したことが明らかである。従つて被告人から請求もしないのに送金がなされたという趣旨の非難は不当である。

(六)、所論は原判決が「現実に融資の金員が授受される前に既存の抵当権等の抹消がなされるべく約定がなされていた」という事実を被告人が主張したようにいつていることをとらえ、被告人の主張しないことを主張したようにいつていると非難する。

なるほど、弁護人の弁論要旨において登記抹消の準備が終るまで送金する必要がないと考えていたという趣旨のことが述べられていることは所論のとおりであるけれども、記録を調査すると第二十二回公判期日(昭和四十四年十二月十六日)において被告人は弁護人の「一番抵当つけるという約束は今井がしたんですか」という質問に対し「今井も大賀も富永も三者が連帯して私に責任を負うという確約をした」といい、更に「一番抵当つけるについては中小企業金融公庫なんかは三百万円全部払つてしまわなければ抵当権を消してくれないでしよう」という趣旨の問に、「それは、今井、大賀の方で金を作つて払うということです」と答え、「……高木さく名義で付けた先順位は、今井、大賀が責任をもつて金を払うなり、話をするなりして全部抹消する。抹消に応ずるという確認書を持つてくるということが始まりです」という旨を答えているのであつて、原判決が「現実に融資の金員が授受されるまえに既存の抵当権の抹消がなさるべき約定が存していた」ということをもつて、被告人のいわないことを、あたかもいつたことにしているとか、予断と偏見によるものであるということはできない。従つて右の非難も当を得ない。

なお所論は被告人が大賀のために融資出来なかつたのは大賀がその所有の担保物件について抵当権抹消の準備をしなかつたからであるというけれども、この点について原判決が(争点に対する判断)一の(二)において説示するとおりであり一件記録によるも、大賀所有の担保物件に既に設定されている抵当権等の抹消が事前になされねば融資はしないという約定があつたとは到底認められない。

(七)、更に所論は原判決が「物的担保の面では問題はなかつたが大賀は酒を飲むと変なことをしたりして人格的によくないことがわかり、それが金主の要求する条件に合わなくなつたからである」と説示するところを片言隻句をとらえるものと非難するけれども、記録を調査すると、原判示のとおり、原審で取調べられた、被告人の検察官に対する昭和四十三年九月十三日付供述調書第五項中で、被告人は右のことを融資中止の理由として述べていることは明らかであり、判文を検討すれば原判決は被告人が右のように述べたことを被告人の弁解が一貫していないことの一つの根拠として説示しているのであり、これをもつて片言隻句をとらえて事の本質を律したと非難するのは当らない。

以上のとおりであつて記録を精査し当審における被告人本人尋問の結果を参酌検討しても原判決の右事実認定には何らの過誤はなく、その他所論の違法は存しないから、各論旨はいずれも理由がなく採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第一の二、弁護人井上正治の控訴趣意補充第二について

(原判示第二の増田武三に対する詐欺関係)

記録を検討するに、原判示第二の事実は、原判決の挙示する関係証拠により優にこれを肯認することができ、原判決が(争点に対する判断)の項二において判示するところも当裁判所においてもこれを支持することができる。そこで以下順次所論につき検討する。

(一)、所論は証人松崎甫、同中村隆の各証言は、第三回目のもの、すなわち、昭和四十六年八月二日になされたもの以外は措信できないものであるのに、右以外の期日の各証言を信用した原判決は証拠の取捨選択を誤まつたものであるというけれども、原判決は所論の昭和四十六年八月二日に行われた中村隆、松崎甫の証人尋問調書を原判示第一ないし第四事実の証拠として挙示しており、ただ右の中、原判示第二に副わない部分は原審が他の証拠と対比してこれを措信しなかつたものと認められる。また所論は中村隆、松崎甫らが、昭和四十二年秋ころから翌年年末まで出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律違反被疑事件で取調べられていた関係から捜査官に迎合して本件について真実を述べなかつたようにいうけれども、これを認めるに足る的確な証拠は存しない。記録に徴するも、原審が右の証拠の取捨選択を誤まつたとは到底認められない。

(二)、所論は、原判決が「被告人に融資能力がなく、事務所維持ならびに生活資金に窮していたため金になることならなんでもし、手形割引の依頼を受ければその手形を他に出して割引させ、割引対価を着服したり、債務弁済にあてたりすることを常習とする」との予断のもとに有罪の判断をしていると非難するけれども、原判決は原判示第二の事実について、これらの事実を認定していないのであるから、所論は結局原判決の認定しない事実を原判決の認定するところとして非難するにすぎない。

ただ、原判決は「他人の資金あるいは手形を利用して順繰にさし迫つた債務の支払に充当している」と認定しているけれども、これは原判決が証拠に基づいて認定したところであり、これをとらえて予断とし、予断に基づいて有罪の判決をしたという非難は当らない。

(三)、次に所論は中村商会が昭和四十二年三月十日株式会社西日本相互銀行大波止支店(原判決が福岡銀行大波止支店と判示しているのは誤記である。)で本件手形の割引を受けながら、この事実を被告人に知らせなかつた中村隆の措置を非難するけれども、もともと被告人と中村隆との間には原判示のとおり相互に債権債務が存在し、被告人はこの債務の支払のために本件手形を送つたものである以上、所論のような中村の措置に対する非難は当らない。かりに右中村において何らかの落度がありとするも、そもそも本件手形は増田武三との間において原判示のとおり三、四日中に割引いてやる約定の下に授受されたものであるから、被告人としては少くとも右増田に対する関係においては放置することなく約定の速やかな実現に努力し、右中村に対する速やかな送金を督促するとか、他の金策を講ずるとか、手形の返還を求めるとか適宜の措置を採る責務が存する筈である。その際原判決が「中村に対して割引けたかと尋ねるのみで手形の返還を請求しようとはしていない」と判示している点をとらえて余りにも完全さを要求するものであると非難するけれども、手形の割引依頼を受けこれを承諾したものが判示のような措置に出ることは当然の責任というべきであり、これを目して余りにも完全さを要求するものなどとは到底いえない。原審は、この事実から推論して被告人が増田から本件手形を受取つた時点において詐欺の犯意の存する有力な証左と解したものと認められ、もとより正当であつて何らの過誤はない。

(四)、所論は、被告人が昭和四十五年三月三十日(山口長政、増田武三の証言終了後)中村隆を通じ山口長政に金三百万円を弁済し、これについて裁判所の指示、検察官の了解があつたという。

なるほど、弁護人の冒頭陳述中に弁護人の意向として「右行為が被告人のため有利な証言を求めるための工作とみなされないという了解が得られるならという条件つきで被告人をして山口長政に金三百万円の支払をなさしめたい」とあることは所論のとおりである。しかし記録によつても右弁済について所論のような裁判官の指示、検察官の了解があつたことはこれを認める的確な証拠がないのみならず、かりにそのような事実があつたとしても、それは本件詐欺の罪の成否には何らかゝわりのない事柄である。

(五)、次に原判決が「金融業者である被告人が自己資金で割引かず割引料が二銭数厘を要することは公知の事実である銀行割引の方法による資金を以てすることは営利手段としては理解し難く、営利目的がなかつたとする何らの主張も証拠もない本件において、被告人の主張は不可解である」といつていることは所論のとおりである。

右のような不利な条件で本件手形の割引をした理由として所論は、将来山口長政と増田武三の関係に亀裂が生じた際、事故手形として処理される危険があること、増田武三が必ずしも信用できないこと、東京都内では増田の信用状態を容易に調査出来るから遠く長崎で割引かせたという。

しかし、本件手形には被告人自ら入手した振出確認証と印鑑証明書がついていることを考えると、事故手形として処理される可能性も少く、所論のように増田武三が信用出来なくても山口長政が信用できるのであれば手形としての価値は大であり、遠くへしかも悪い条件で割引に出さねばならないことを首肯させるに足りる理由は存しない。

しからば、前記原判決の認定が所論のように経験則に反する自由心証主義の濫用であるなどということはできない。

(六)、所論は第二回目の証人尋問期日(昭和四十五年六月五日)にあたり裁判長が証人中村隆に対し同人の証言が第一回目(昭和四十四年二月十八日施行)と異なるのは被告人から三百万円を借り受けたためではないかと質問し、裁判所自ら支払を指示した金員の支払を証言変更の理由であると認定しているのは不当であると非難する。

なるほど、原判決は「中村のいうところは、本件手形送付時には被告人が負担するといつて被告人の中村への債務であつた前示導入預金の費用合計二百五十五万円を、右証人尋問の直前に、被告人がこれは自分の負担では困るといつて中村側の負担とすることを求め、中村がこれを了承したこと、すなわち、被告人中村間の債権債務関係を右証人尋問の直前に合意により変更したことを意味するものである」と認定していることは所論のとおりである。

しかし右は原審が昭和四十五年六月五日長崎地方裁判所において中村隆を証人尋問した際、とりわけ被告人じしんの尋問に対する中村証人の答として明らかに認められるところである。(原審記録第九冊、二千四百四丁裏終りから四行目以下参照)また右金員の支払を裁判所が指示したことなど記録上これを認めることはできない。

前記原判決の認定は証拠に基づいたものであり、いわんや被告人を「わな」にかけたなどということは到底肯認できない。

なお右の中村隆に対する証人尋問の際被告人が「その後私は弁護人立会いでなければ会つちやいかんというので会えなかつたんですが、再保釈になつて中村さんと会つていけないという条件が解かれてから長崎へ私来てからお会いしましたね。今度は自由に会えるようになつたんだと、私は来ましたね。」と尋問したのに対して中村隆証人が答えなかつたことは記録上明らかである。

しかし、所論が非難するように原判決がこのことをとらえて『あたかも山口に対する支払資金三百万円を貸したことによつて証言の変更を依頼し中村がこれに応諾したような判断をしたとか、「いいがかり」である』とかいうのは全く根拠がない。原判決は前記のように証拠に基づいて事実を認定し、これは本件手形送付当時における債務関係に関する判示認定を支持こそすれその妨げとなるものではないと結んでいるが、この認定に誤りはない。この点に関する所論の非難は全く不当である。

以上のとおりであつて当審における事実取調の結果を勘案して記録を精査しても、原判決の原判示第二の事実認定には何らの過誤はなくまた所論のような違法も存しないから各論旨はいずれも理由がなく採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第一の三、弁護人井上正治の控訴趣意補充第三について。

(原判示第三の大矢増雄に対する詐欺関係)

記録に徴せば、原判決の挙示する関係証拠により原判示第三の事実を肯認することができ、原判決が(争点に対する判断)の項三において説示するところについては当裁判所もこれを支持することができるが、以下所論に鑑み順次検討することとする。

(一)、所論は原裁判所が大矢増雄の証人尋問の途中同人が病気になつたことを理由として尋問を打切り、その後同人の恢復後も尋問再開を許可しないとして原裁判所の訴訟指揮を非難する。

記録を調査するに、証人大矢増雄は第十一回公判期日(昭和四十四年一月三十一日)に検察官側証人として喚問され、第二十九回公判期日(昭和四十五年九月一日)に弁護人側証人として喚問され、第三十回公判期日(昭和四十五年十一月九日)に再度弁護人側証人として喚問され(次回続行)たところ、同証人は昭和四十六年一月二十六日蜘網膜下出血の病名で東京慈恵会医科大学附属病院に入院したので、第三十一回公判期日(昭和四十六年二月六日)において同証人を喚問留保としたことは明らかである。(もつとも同証人の尋問途中で病気を理由として証人尋問を打切つたかどうかは記録上明らかではない。)

およそ、証人尋問にあたり、裁判官が証人の健康状態について深甚な注意を払い、もしこれに異常を認め尋問を継続することが妥当でないと思料されるときは、証人尋問を途中で打切ることは当然のことであり、とりわけ大矢増雄証人のように明治二十八年一月一日生という高齢の証人の取扱いにあたつては慎重であらねばならないことはいうまでもない。まして、右証人は前記のとおり三回にわたり詳細十分に尋問しているのであり、また入院中であることを考慮すれば、再尋問について極めて慎重な態度をとるのも当然のことであり、原裁判所の訴訟指揮はまことに適切であり、これを目して予断偏見に基づくものであるとする非難は当らない。

(二)、次に所論は証人大矢増雄の供述には信憑性がなくこれを信用して証拠とした原審は証拠の取捨選択を誤まつたものであると非難する。

なるほど、同証人は質問者の質問の意味を必ずしも的確に理解して答えることには馴れていないようであり、その表現力も正確豊富とはいえないけれども、必ずしもその内容は所論のように矛盾混乱しているわけではない。原判決はこれを他の証拠と対比して信用したものと認められ、所論のように取捨選択を誤まつた違法があるとは認められない。

(三)、所論は本件の百五十万円が原判決のいうように裏利息ではなく調査料であると主張するけれども、原判決は右の百五十万円を裏利息と確定しているのではない。

すなわち、被告人が大矢増雄に対し「急ぐのならば四十八時間でできる便法がある、百五十万円の裏利息を出せば三億円を預金してそのうち一億五千万円を借りられる」旨虚構の事実を申し向け、その旨大矢を誤信させたと認定しているのであり、百五十万円が裏利息であるというのは被告人の言葉の内容として認定しているのである。従つてこれが裏利息であることを前提として原判決を非難する個所はいずれも原判決の認定しないことを非難するものである。すなわち、導入預金の融資額一億五千万円の裏利息としては余りにも軽微な金額であるとか、裏利息であるなら金員授受と同時に導入預金受入銀行が特定されねばならないという主張はいずれもその前提を欠くこととなる。

また四十八万五千円は登記料でないという主張も、前同様原判決は被告人の言葉の内容として「前記不動産に対する抵当権設定登記料として四十八万五千円必要である」旨虚構の事実を申し向けたと認定しているのであり、右主張も原判決の認定しないことを非難するに帰する。

(五)、更に所論は原判決が本件金額が調査料としては法外の多額だから調査料でないというのは独断であると非難するけれども、原判決は単に多額であるからということだけを根拠とするものではなく、調査費用の前払は事の成就が確実でないかぎり、おのずからその額に限度があるとし、本件では被告人も認めるように仲介にすぎないので調査はかなり簡易であるはずであることを根拠として、二百万円は大矢増雄にとつては法外な額であり、いかに資金を欲していた大矢でも、もし融資が不成立のとき全くの損失となつてしまう調査費用として二百万円の支払を約するとは考えられないとしているのであり、充分に首肯するに価する根拠を示しているのである。従つてこれを独断ということはできない。

調査料が所論のように街の金融業者にとり悪質な融資申込を防ぐための機能をもつものであるとしても、そのことが本件の金員を調査料と認定せねばならぬ根拠とはならず、また判示の認定を妨げるものでもない。

なるほど第三十回公判期日(昭和四十五年十一月九日)における証人大矢増雄の証言(原審記録第十五冊三千六百四十七丁終りから四行目以下参照)において、被告人が「私のほうは小出さんの信用調査をやつて、資産は沢山あるし、これは借人としてはよかつたんです。ところが最後に、小出さんに聞いたら、とんでもないと私は物件を、売つたのにすぎないんで、五千万ぐらいで、売つたんで、私が借人なんてとんでもないと、一切責任もたないという回答で、融資を断つたんです」と述べたのに対し証人が「融資を断つたということと、私の言つているのと、まるきり違うじやありませんか」と述べ、被告人が「それは違います」といつたのに対し証人は「百五十万という取引きなんかないはずですね、四十何万という登記料出せとか、二百万の調査料出せと言つたから……」と述べ、被告人が「誰がそんなことを言いましたか」といつたのに対して証人は何も答えていない。これは質問に対する答えの体裁をなしたものではなく、右の二百万の調査料という言葉の前後の関係、その意味内容も充分に吟味もされないままに、弁護人が次の問に移つているのである。これは正に片言隻句であり、これだけをとらえて事実認定の資料とすることができないのはいうまでもない。

以上のとおりであつて原判示の各証拠就中被告人作成の大矢増雄に対する覚書、預り証(二通)契約証と題する書面の各記載に徴すれば原判示のとおりの経過で詐欺がなされたことは否定すべくもなく原判決には何らの事実誤認乃至所論のような違法の廉はなく当審における事実取調の結果によるも右認定を覆すに足りない。以上各論旨はいずれも採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第一の四、弁護人井上正治の控訴趣意補充第四、弁護人井上正治の控訴趣意第五について。(原判示第四の坂本実に対する詐欺関係)

記録によれば後述するところを除き原判示第四の事実はその挙示する証拠により優にこれを肯認することができ、また(争点に対する判断の項)四で説示している点は当裁判所も同調することができる。よつて所論に鑑み以下順次検討する。

(一)、所論は原判決が証拠としている証人坂本実の供述には信憑性がないのにこれを信用したのは証拠の取捨選択を誤つた違法がある。

原判決の態度をみると右の供述を、おおくの点において錯乱しているけれどもそれは記憶のあやまりにすぎないからこれを訂正すれば大筋において信用することができるとし、裁判所自ら証拠を勝手に訂正し、証言とは異なる別の「ストーリー」を構成しているのは不当であると非難する。

しかし、原審は右坂本の証言を他の証拠と対比して吟味したうえ信用できる部分を信用したものであり、原判決は所論とは異なり「坂本の供述には部分的に、すなわち、同人が判示の金員や小切手を交付した日、中村隆に会うべく大阪に赴いた月日等にあいまいな点がみられるが、これは日時の経過による記憶違いと考えられ、結局坂本の供述はその大筋において充分信用を措くことができる」と説示しているのであり、事柄の経過推移じたいではなく、日時の点においてあいまいな点があるとし時間的な記憶を問題としているのであり、所論のように裁判所が決定的な証拠を勝手に訂正して証人の証言と異なる別の「ストーリー」を構成しているなどということはできない。原判決に証拠取捨選択を誤まつた違法があるという非難は当らない。

(二)、所論は本件につき証人井上宗雄の供述こそ信憑性があり、証人中村隆の供述は措信できない。それにもかかわらず、原判決は中村隆の供述を措信した点に経験則に反する自由心証主義の濫用があると非難する。

しかし、原判決は中村隆の証人尋問調書三通のほか、証人井上宗雄の第十六回公判期日(昭和四十四年九月二十二日)における供述と昭和四十六年七月三十一日付の井上宗雄の証人尋問調書をも本件の証拠として挙示しているのである。ただ同人の供述、証人尋問調書の記載中原判示第四に副わない部分は原審が他の証拠と対比してこれを措信しなかつたものと認められる。原審の措置に経験則に反する自由心証主義の濫用があると認むべき事跡は窺えない故この非難は当らない。

(三)、所論は原判決が本件虎徹を偽作であると速断していると非難するけれども、原判決はこれを偽作であると断定しているわけではない、判文に徴すれば「長曽根虎徹と称する日本刀」といいまた「偽作と思われる」という表現を用い、それは坂本実にとつて偽作と思われるという意味であり、右の刀が客観的に偽作であると断定したわけではない。従つてこの点に関する非難は当らない。

(四)、所論は原判決が被告人は坂本実に対し「中村が二振りをあつさり安く手離すらしい同人には恩を着せているから五十万円で売るようにさせる」と虚構の事実を申し向けたと認定しているけれども、虎徹だけが取引の対象となつたものであり、本件証拠によるも日本刀二振が取引の対象となつたことはない。原判決には証拠によらずに事実を認定した理由不備の違法があると非難する。

しかし証人坂本実の第二十七回公判期日(昭和四十五年五月十一日)の供述、第十二回公判期日(昭和四十四年二月十日)における供述記載によれば、右五十万円授受の当時、虎徹と郷義弘が被告人と坂本実との間で取引の対象となつたことは明らかである。前記のような虚構の事実を申し向けたという原判決の認定は右の証拠によつて基礎ずけられており、証拠によらず事実を認定した理由不備の違法があるという非難は当らない。

(五)、所論は本件は坂本実の方から日本刀を買つてくれと依頼したものであるのに、原判決は被告人から話を持ち出したものと認定しているのは誤りであると非難するけれども、関係証拠によれば被告人から坂本に日本刀二振の売買仲介の話をもち出したものであることは否定すべくもない。この点について原判決が(争点に対する判断)四で説示するとおりである。

(六)、所論は、原判決が被告人と坂本実との喫茶店「ハヤセ」で話合いの日を起訴状に昭和四十二年三月十日ころとあるのを何の根拠も示さずに同年三月三日ころとし、また金五十万円の調達の日は同年三月十日ころではないと非難する。

そこで検討するに、証人坂本実の第二十七回公判期日(昭和四十五年五月十一日)の供述、第十二回公判期日(昭和四十四年二月十日)における供述記録、坂本実振出の小切手一通(写)(原審記録第八冊二千百三十二丁参照)坂本松子名義株式会社三和銀行当座勘定照合表(原審記録第八冊二千百三十四丁参照)坂本実名義株式会社三和銀行当座勘定照合表(原審記録第一冊六十七丁参照)によると、坂本が被告人と都内新宿区新宿三丁目九番地所在(原判決は新宿区三丁目と判示しているが、右は新宿三丁目とすべきを「新宿」の二字を遑脱したものと認められる。)喫茶店「ハヤセ」で会つて刀剣の話をしたのは昭和四十二年三月上旬で、金を揃えるのに一週間だけ待つてくれといい、あつちこつち金をかき集めて一週間目が金曜日であつたことを記憶していること、昭和四十二年三月中の金曜日は三、十、十七、二十四日であり、額面二十万円の坂本振出の小切手の振出日が昭和四十二年三月十三日であり、その裏面に「三月十七日入金」「宮武安造」と記載され、同年三月十八日交換印が押捺されていること、坂本松子名義の当座勘定照合表中に三月十六日十万円、三月十七日三十万円入金、坂本実名義当座勘定照合表中に三月十八日二十万円入金出金の記載がある。以上を総合して検討すると、起訴状記載のとおり三月十七日ころ坂本が被告人に現金三十万円と小切手(額面二十万円)を交付しそれより約一週間前の三月十日ころ、被告人と坂本と喫茶店「ハヤセ」で話合いがあつたと認めるのが相当である。これと異る原判決の認定〔(争点に関する判断)四のうち右に関連する部分を含めて〕は事実を誤認したものである。しかし、右の誤認は単に日時を誤つたものに過ぎないから判決に影響を及ぼすことが明らかであるとまではいえない。従つて、この点をとらえて原判決破棄の理由とはなし難い。

(七)、所論は、原判決が「被告人が寄託を受けた刀剣代金五十万円を昭和四十二年四月四日小池弘子名義で坂本松子の三和銀行新井薬師支店普通預金口座に払い込み、この金員につき翌五日被告人が坂本実振出名義の額面二十五万円の小切手二通を中順司なるものをして取り立てさせていたのだから、銀行は坂本不知のうちに普通預金の金をパーソナル小切手口座にうつし、当該小切手を不渡小切手にしなかつた」と認定したことを非難するけれども、原判決は所論のような本件刀剣代金の坂本実への返還の事実を認定していないのであり、畢竟原判決の認定していないことを非難するに帰する。

(八)、また所論は本件刀剣代金返還当時坂本実と被告人との間に「ダイヤ」販売に関する共同事業契約があり、契約書も存在していた。本件刀剣代金は右出資金の一部として繰り入れたというけれども、当時右契約の存在を立証するものはなく、却て被告人側申請証人山田健二の供述によれば右のような契約書はもとより契約じたいもなかつたことが明らかである。坂本実がその頃約束手形や小切手を被告人に自由に使わせていたことはこれを認めることができるけれども、そのことから右の「ダイヤ」販売に関する共同事業契約があつたとまで認めることはできない。まして本件刀剣代金を右の出資金に繰り入れたと認めることはなおさらできない。従つてこの所論は採用のかぎりでない。

(九)、所論は、原判決が「証人山田健二の当公判廷における証言によれば右の契約書作成についての主張は被告人の作為さえ感じられる」と説示しているのをとらえて原審の予断を示すものであると非難するけれども、右山田健二が弁護人申請証人であること、事前に被告人、弁護人が山田に面接して特定の証言を依頼し、その際山田に合計金十五万円を支払つていることなどを考慮し同人の証言内容を仔細に検討すれば、右契約書の作成についての主張に被告人の作為さえ感じるのは当然であり、これを予断であるとか、自由心証主義の濫用であるなどとは到底いえない。

(一〇)、次に所論は原判決が「被告人のいうように、刀剣代金として受取つた五十万円を、前記出資金の一部にするという点については、主張自体先の五十万円を坂本松子の普通預金口座に振込み返還したという主張と相入れない」と説示している部分を非難するけれども、右の説示はまことに相当であり、所論のように、一たんは坂本実の指示によつて坂本松子の口座を利用してこれを返還することとなつたが、その翌日、当時銀行取引が停止されていた被告人は坂本の口座を利用することが認められていて中順司の小切手二枚の支払いに坂本の当座預金を充てたものであるなどということは、全く根拠を欠くことで到底これを肯認することはできない。

(一一)、所論中には、証人坂本実が「被告人と坂本との間に五十万円で刀剣購入の話が出た時期を「ダイヤ」取引の話が出た時期より前であつた」旨の供述をしたことをとらえ、これは時期をずらせることによつて被告人を刀剣代金の詐欺罪で告訴し「ダイヤ」の出資金を取り戻すためのものであると主張する部分があるが、これには全く合理的根拠が見当らない。

以上のとおりであつて記録を精査しこれに当審における事実の取調の結果を併せて勘案するも破棄理由となるような事実誤認は勿論その他所論のような違法は発見できないから論旨はいずれも理由がなく採用できない。

弁護人戒能通孝、同井上正治、同小林健二の控訴趣意第三の一ないし四(量刑不当の主張)について。

所論に鑑み、記録を調査し当審における事実取調の結果をも加えて原判決の被告人に対する量刑の当否について検討するに、既にみて来たところからも明らかなように本件の事実関係はすべて原判決の認定判示するとおりであり(もつとも原判示第四の日時場所については前記のとおりである。)、金融業を営む被告人が行つた四回にわたる詐欺(被害額合計六百九十八万円)の事案である。本件各犯罪の性質、態様、金額、動機ならびに被告人はこれまで昭和二十九年五月公文書偽造、同行使詐欺、私文書偽造、同行使詐欺の罪で懲役一年三月間執行猶予に、同三十二年六月詐欺の罪で懲役二年に、同三十二年十二月私文書偽造、偽造私文書行使の罪で懲役一年に、同三十七年九月詐欺の罪で懲役一年六月に処せられたことがあることを考慮すると被告人の責任は重いものがあるといわねばならない。原判決が被告人を懲役三年(求刑同四年)の実刑に処したことをもつて一概に量刑が重いとはいえない。しかしながら、反面被告人は原判決において本件の各被害者または実質的な出捐者に被害弁償を了し示談が成立している。このような量刑上被告人にとつて有利な情状も認められ、これら一切の事情を考慮すると被告人に対して原判決よりは更に若干その刑期を減ずるのが相当と認められる。この点において原判決の量刑は重きに失した嫌いがあり、論旨は結局理由がある。

そこで刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十一条により原判決を破棄したうえ同法第四百条但書を適用して当裁判所において更に自ら判決することとする。

原判決が確定した事実(原判示第四については三月三日、同月一〇日とある日時を三月十日、同月十七日と新宿区三丁目九番地とある場所を新宿区新宿三丁目九番地と訂正する)に原判決が適用した法令を適用し、既にみて来たような諸般の事情を考慮しその処断刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し原審における未決勾留日数中三十日を刑法第二十一条により右本刑に算入し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

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